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いまこそ公共住宅の役割発揮を

「住まいとまちづくり」学習会

 「2003年全国統一行動」の取り組みのスタートとして全国公団住宅自治会協議会は9月3日夜、「住まいとまちづくり――地域コミュニティのあり方と公共住宅の役割を考える」をテーマにした学習会を東京千代田区一ツ橋の日本教育会館で開きました。関東地区の5自治協の72団地から195人の自治会役員が参加。講師の鈴木浩福島大学教授(地域創造支援センター)の講演を聞き、「安心して住みつづけられる公団住宅を」との2003年全国統一行動の中心課題への確信を深めました。以下、当日の講演の模様です。



住宅政策における公共性の再構築をめざして

講演 鈴木 浩 福島大学教授

 みなさん今晩は。講演の機会を与えていただきありがとうございます。
 先日、福島で小椋佳の公演を聴いたのですが、分かったことは彼とはまったく同じ歳ということ、その時口火を切ったことばが、「私の唄は真剣に黙って聴くような唄ではない。携帯電話をお持ちの方は大切な家族から緊急の連絡が来るかもしれないので、電源は切らずに鳴ったらすぐその場で応えなさい。眠くなるだろうけど寝るのは結構、その方が健康にいいわけだから無理に音楽を聴いたりする必要はない」、僕もまったく同じようなことを言いたいのですが、どこが違うのかというと、小椋佳の時はそう言ってもひとりも眠りません。僕がこういうことを言うとみんな堂々と眠ってしまう。そこの違いが大きいと思いながら話を進めてまいります。
 さて、きょうは「住宅政策における公共性の再構築をめざして」こんな題にしております。ただ、どうしてもふれなくてはならないのは独立行政法人の問題です。「独立行政法人」これは最終的な姿ではない民営化のワンステップでしかありません。都市再生機構の法案が6月に通りましたが、相前後して「国立大学法人」というのが6月に通っています。都市再生機構の法案よりももっと多い23項の附帯決議がついています。それらは法律そのものとまったく相容れない内容です。これだったら法律を変えるべきではないかと我々みんなが思うのですが、実は変えずに「独立行政法人国立大学法人」は通ってしまったのです。
 その法に基づいていま各国立大学に迫っているのは人員の削減です。現教員数の3〜7割を標準教員数と定め、国庫補助のベースとなる数字とし、現在の補助金の3〜7割を削減するというものです。足りない分は授業料を上げるなりして稼いでくださいということです。東京大学などは授業料を倍にしてもブランド志向の人がいくかもしれませんが、我々のような地方の弱小大学が授業料を倍にしたら見向きもされなくなりますので、地方の国立大学は成り立たなくなります。しかも独立行政法人というのは最終的な姿ではありませんので、いずれ私学といっしょに競い合ってくださいということになります。
 こんなことで日本の高等教育機関のあり方が守れるのだろうか、あるいは高度の研究教育がこれで実現できるのだろうかという非常事態にあります。こういうことが政府がめざす構造改革から出された問題で根っこはいっしょです。私たち国民がどういうふうな対応をするのか重要な状況になっています。したがってこれから話すことの根っこは、そういうところにあると納めておいていただきたい。

  講師 鈴木浩福島大学教授

住宅問題の諸相

◆大都市と地方都市と農村社会

 本題に入りますけれど、日本の住宅問題の諸相6点の私なりの見方をお話します。
小泉内閣が発足し2年半、この中でいっそう明らかになった住宅問題や都市問題の現象は、大都市は大都市として問題は深刻である点がより明らかになったことと、地方がより悲惨になってきていること。地方に住み地方のまちづくりをお手伝いしながら、地方都市や農村部の状況が危機に瀕していることが分かります。
 地方出身の方、みなさん方が生まれ育った地域の姿がどうなっているか想像してほしいのですが、そこの将来の地域像がまったく描けない。みなさんの身内の方が田舎に住んでおられるとして、もし亡くなられた時、その家や宅地、近隣社会がどうなるのか日本ではいま想像がつかないのです。
 私はいま福島の街中の約100世帯の町内会で街中再生に取り組んでいますが、出てくる方々が70歳代80歳代の方で子供たちは戻ってくる見通しがない。いま頑張ったところで子供が帰ってこないから、このまま閑かに過ごしましょうよという話になってしまうのです。これがいまの地方のそれも県庁所在都市の街中の姿です。
 農村でもそうです。私のゼミの20代の学生諸君の、ご両親がもしも不幸にしていなくなったら住んでいたその地域はどうなるのか、それも今は想像できなくなってしまいました。私たちが子供の頃、私たちの両親がその地域で活躍して頑張って家族を育てて、子供なりにこの地域はこうなっていくのだろうということを連続的にイメージができました。
 私の両親が必死になって家を建てました。その時はたぶん自分たちの家族だけでなくて、子供が家を継いでくれたら孫もこの家を継いでくれるかもしれない。こういう前提のもとで家を建てたのです。ところが私たちの世代、さらに次の世代では子供が家を継いでくれるにちがいないと思って家を建てる人などほとんどいません。これはみなさん想像できると思います。何がこうさせてしまったのでしょう。日本はいままったく社会の動き方が変わってしまったのです。これを元に戻すとまではいわないまでも、ここの中で起きているマイナスの現象を私たちは今どうくい止めるかというところに立たされていると思います。
 もうひとつ地方の農村部の話をします。1970年代に農水省は農産物安定供給法という法律を作りました。この法律は大都市東京、大阪のために、地方の農村部はここではタマネギを作ってください。ここではジャガイモを作りなさい。ここではキュウリを、そうすると野菜が大都市にダイレクトに来て、生産農家も価格が安定するし、大都市の人たちもそれによって野菜を安定的に手に入れられる、という法律を作ったわけです。
 その法律の以前は、地方都市とその周辺の農家の関係が成り立っていたのです。周辺の農家が農産物を作って、そこの都市で現金収入を得たらそこで衣類などの買い物をし、農村に帰る。だから地方都市には七日町や十日町などの市場の名前が多く、これが地方都市と周辺農村の関係でした。
 ところが全国の農村は大都市に向けてキュウリ等を生産する主産地となり、主要な作物だけに限って大都市に向けて作る仕組みになりました。その結果、地方都市における都市と農村の関係が、まったく断ち切られてしまいました。地方都市の中心市街地が衰退していますが、これについて農村部の方たちは 「俺たちには関係ない」問題になってしまいました。こういうことが起きていまして、地方都市の衰退の問題は、そのまま実は農村での問題、環境の問題なのです。大都市の問題と同時に、大都市に住んでいる方々が自分たちのふるさとがどういうふうになっているかを、あわせてご理解していただくために話しました。

◆「光」と「影」のさらなる分極化

 2番目に分割・分裂あるいは分離・隔離・差別を (レジュメに)並べましたが、今、東京の墨田区、荒川区、足立区の調査をやっています。併せて六本木などの都市再生プロジェクトも見ておりますが、23区においてはこれまで以上に東京の光の部分と影の部分の強烈な対比が生まれてきました。 昔からあったわけですが、これに2〜3年前だったでしょうか警視庁が犯罪マップというものをつくりました。どこの区が犯罪が多いのか、また社会的に不安なところに置かれているのを発表しました。それによってここに住みたいなという地区と、住みたくないなという地区の選り分けが、今まで以上にできてしまったのです。
 こういう問題に関してはドイツ、イギリス、アメリカはもっと「先進」地域です。ロンドン東部地域、ここはバングラデッシュの人たちが住んでいるところ、ここは中国人が、ここは日本人というふうな色分けがはっきりしています。以前ロンドンに住もうとした時に、ここの地区に家を借りたいなと思って行ってみたら、ここの地区には日本人に貸すような家はないですよと言われました。これが最初に受けた差別です。
 こういうことは世界の中で起きていますが、イギリスなどは国民的に差別をなくそうという運動が、根深く歴史的にもあり、これに対する運動がたくさんあることは分かっています。こういうことが今、日本で起きようとしている、あるいは起きていると言ってもいいです。
 このような形で地域社会というのは一方では沈殿し衰退していくところと、お金にあかせて輝いているような地域とふたとおりになっているということです。これは私たちが何としてでもそれぞれの地域社会を守っていく、衰退していくところをどうしたらよいのか考えていく必要があります。というような現象が起きているのだと思います。分離・隔離・差別というのはそういう意味です。実際には単にそことここが性格の違いというだけではなく、性格の違いがさらにそこに住んでいる人を白い目で見る、というような見方にすぐ転嫁してしまう。こういう現象は東京の中でもかなり明確になってきている。これは私たちがめざす地域社会ではありません。どういうふうに考えるか、たいへん重要な問題です。そして残念なことにこの現象をもたらしたのは都市再生プロジェクトなのです。
 こういう格好で都市再生プロジェクトが生まれ、都市再生機構は公共が自ら住宅を供給するのではなくて基盤整備の部分を行い、上の部分は民間デベロッパーに任せましょう。そして30万円、40万円の家賃の上物を建てる、こういうものの後ろ盾を公共が行うことになります。一方で公共住宅はできるだけ縮小しようということですから、どういうことになるのかだいたいは想像のつくことで、都市再生プロジェクトについては警鐘を発したいと思います。 
 すでに新聞等で報道されていますが、都立大学の跡地に壮大なマンションを作る工事が始まっています。豊かな住宅地だったところに、とてつもない高層マンションが出現するわけです。外国人があきれ果てていますので、日本人たちがもっとそういう問題について、ノーと意見を発しなければいけない状況だと思います。

 ◆ストック・成熟型社会の住宅政策

 3番目に政府は最近、盛んにストック型社会、あるいは成熟型社会という言い方をするようになりました。ストックというのは社会に蓄積されている資産というほどの意味ですが、これに対するものをフローと言います。ものがどんどん流れている状態で、これまでのモノ日本はモノを右から左へ流すことによって、経済の成長を支えてきたのです。ところが時代が変わり、モノを置いておいてそれを上手に使うような社会となり、こういう意味で成熟型社会という言い方をするようになりました。
 都市計画や住宅政策の中でストック型、モノは大切に使いましょうとなっても、そういう政策転換が見えない。都市再生プロジェクト、あれがストック型の成熟型社会かというと、相変わらずモノを壊しては作りで、これの繰り返しです。したがって実は更なるフロー市場を喚起する、これが都市再生プロジェクトに思えてなりません。
 今までに作られた市街地、集合住宅を丁寧に使っていこうということがどうもなさそうです。できれば早く取り壊してやりたい。 住宅産業や経団連は日本の5,000万戸の住宅の内、これから発生しうる地震に絶
えられる住宅は半分、絶えられない半分2,500万戸の市場を早く建て替えましょうともくろんでいる。これが今の政策の骨格です。どこがストックを大切にする政策なのか、政府が今打ち出している都市計画や住宅政策で、これまでのものを大切にしようという実感がありません。そういうところを軌道修正する課題があります。

◆ニュータウンの衰退とマンションの老朽化

 4番目にマンションの問題、一般的にいうと集合住宅ですが、きわめて老朽化してきています。建て替えあるいは修繕は大きな問題で、みなさんの住んでいる団地でも抱えている問題だと思います。
 それと同時に大都市近郊のニュータウンはたいへんな状況になっています。大都市だけではなく30・40年代に福島など全国の主要都市にニュータウンを作りました。大都市ですとニュータウンを作ると鉄道などの交通機関を充実させますが、地方では公共輸送機関が全くない山の中に作りました。したがって車がないと生活ができません。当時30・40歳代の方が今は70・80歳代になっているわけで、医療機関がないショピングセンターがない「離れ小島」になっているのです。
 これが日本のニュータウンです。イギリスで100人が住むニュータウンを作る場合にはその70%の人がそこで職場を得られる。職場をきちんと確保するというのがニュータウンです。文字通り職場と住居がワンセットになっているからタウンです。日本の場合は職場がずっと離れたところにあるのでベッドタウンです。ニュータウンと呼んではいけないのです。ベッドしかないというのが現実の姿です。
 これがニュータウンを作る時の外国と日本の違いです。年代層の変化によって本当におかしな姿になっている、というのが今のニュータウンの姿です。これをどうするか、欧米の知識をそのままというわけにはいきませんが援用してくると、働き場所がある、いろんな年齢層がそこに住めるように工夫をする、公共輸送機関を充実させる、こういうことが基本的な問題として提起されている。今の都市計画の分野ではこういう議論が出てきています。
 分譲マンションの老朽化の問題、集合住宅の中で1戸ごとに所有権が違う、これはきわめて日本的な発明です。集合住宅で所有権が違うのは、商品として展開するためにあみ出した区分所有法という法律の下に成り立つものです。
 イギリスには「区分所有」という考え方がまったくありませんでした。集合住宅というのは基本的に家主さんがいて、これから借りるという賃貸住宅が原則だったのです。管理や居住者の一体感が生まれます。
 今、老朽化した分譲集合住宅の建て替えをする時に合意形成がうまくいかない。当たり前です、収入の水準がまったく違うのですから、ある人は早く建て替えたくてもある人は年金生活だったりする。建て替えといってもそんなお金はありませんとなります。これを強行突破するための法律整備が、実は区分所有法の改正として行われているのです。居住者が自発的に合意をして建て替えをするのではなくて、そこにマンション業者が入り込み業者の発言権を強くし、建て替えるようにしようという法律に徐々に変わってきています。これが今の日本全体の流れと合致しているわけです。居住権だとかの保証ではない。
 念のため申し上げますが、集合住宅は基本的に賃貸住宅であるべきだと思います。これは集合住宅の特性にマッチした住宅のありかただろうと思っています。その時に管理者と居住者の問題は絶えず起きてくる。これは集合住宅のもっている必然性です。
 イギリスの経験では、管理における住民参加というのが歴史的に築かれていて、管理そのものに居住者が参加をしていくというようなことが、かなり明確に打ち出されています。その中に地域社会をきちんと守っていく建築家運動があって、集合住宅の維持管理をするために近隣に住んでいる。建築家が集合住宅の管理や住民参加を、お手伝いをする建築家グループがたくさんいます。
 これは日本でも考えた方がいいと思いますが、団地ごとの管理をする時に第三者、大学の先生が多いのですが、友人が集合住宅の管理委員会のメンバーになっています。住民代表はもちろん、管理者、それに第三者、多くは住宅問題を専門にしている学者、弁護士たちがメンバーになって、この団地の管理をどうすべきかということで委員会を作っています。そこの年次報告書を見ますと、かなり激しい議論をしながらその団地の管理をどうすべきか話し合っています。こういうことも管理をする上では重要なことです。

◆資産継承の限界

 5番目はふるさとの兄弟の姿を浮かべながら聴いていただけるとありがたい。日本では個別の住宅の宅地・不動産・財産の相続制度が戦後変わり、戦前は家督相続制度でした。長男がだいたい家屋敷を引き継ぎ、次男・三男は出て行くというのが一般的な習わしでした。
 戦後の憲法・民法の中ではこの家督相続制度が均分相続制度に置き換えられ、兄弟は等しく相続権があるようになりました。戦後の民主的な制度の下に勝ち取った法律なのですが、家屋敷を兄弟で均分相続するのはどういうことか。家を縦に分けるわけにもいかず、日本では相続訴訟が圧倒的に多いのです。
 その結果は金でチャラにしてしまえという考え方です。こうなってしまうと地方都市でもそこにあった家が、いつの間にか廃屋になる、駐車場になる。その結果、街中のあちこちが廃屋や空き地、暫定的な駐車場になります。このように日本では個人の財産、特に家屋敷をその家族で基本的に解決・相続をすることになってしまっていますが、これでは街が成り立たない。ということがはっきりしてきました。そこで地方都市の中では、こういうものを共同でみんなで運用しませんか、という運動が起きています。
 つい先頃、岩手県の東和町(人口15,000人)というところの街中で、10軒の家がそれぞれで相続していたのではもたないから、共同建て替えなどいろんな方法を考えましょうということがありました。そして個別の所有ではなく、有限会社など法人の共同所有名義にしてしまえば、相続という行為はなくなってしまいます。相続にまつわりつく相続税の支払いもなくなります。
 日本は土地・不動産の所有が法人と個人のふたつに分かれます。法人は相続行為がありませんので、この法人の続く限り相続行為が発生しませんので、こちらのほうが力が強くなっていくことになります。東京23区を始め、全国的に法人の持っている土地の比率が大きくなっているのはこのためです。戦後の民主主義の成果の均分相続それはそれで価値がありましたが、個人がそれを所有し処分するというところに大きな限界が見えてきました。これを地域社会として守りルールを作る、というようなことが必要になってきています。
 大正11年、関東大震災の前に田園調布(東京都大田区)が開発され、その時ユニークなお互いが学ぶべきルールを作りました。自分がそれを処分するにしても細分化しない、法律用語でいうと分筆をしない。住まい以外の用途に使わない、建物は2階まで、隣や道路との境界は生け垣にするというルールを作りました。それが地域社会として一定の品格を作っていくわけです。
 自分たちの住んでいる地域にみんなで守るべきルールを作る。ところが田舎に行くと昔はそういうのがあったにもかかわらず、今は全くなくなってしまった。だから隣にパチンコ屋やカラオケ屋ができたりするのです。これが防げなくなってしまったのです。私たちは地域社会で底力を持っていなくてはならない。団地の中の店舗が商業に任せていくから空き店舗になっています。店舗をどういうふうに守っていくかが地域社会の問題です。神野直彦東大経済学部教授の「地域再生の経済学」という本に載っていた話ですが、スウェーデンのストックホルムから60km位の小さな町では、そこに住んでいる人たちがみんなそこの商店街で物を買う。ストックホルムまで行けば品揃えはたくさんあるし安いものが買えるのに、ここの地域社会を守りたいから、多少高くてもここの商店街で買うということを、その地域の住民がおしゃっていて感慨を受けたと書かれていました。
 私の住む福島では最近、仙台直行の高速バスができ、土日になったらワンサカ仙台へ行ってしまう。福島ではものを買わなくなってしまった。私たちに必要なのは私たちの地域社会を守るのはどういうことなのか、高齢になった時どういう地域社会になるのか、だから汗水を流さなくてはならない。というようなことが今、日本の中で問われていると思えてなりません。
 
◆地域における住宅政策の課題

 6番目に、住宅政策は政府が基本的なガイドラインを作るけれども、本体は地方自治体が握るべきだと思います。日常的な地域社会、コミュニティがどういう姿になっていくのか政府はまったくわかりません。
 だからそういう地域社会の問題を、住宅政策として考える時も地方自治体がもっと権限を持つべきというのが私の考え方です。地方分権の流れで徐々になってはいますが、これまでの地方自治体の住宅政策は公営住宅を建て管理する以外、まったく視野を広げてきませんでした。
 個人の家も公団住宅も地方自治体の住宅政策の範ちゅうに入っていなかった。ここのところ首都圏の公団住宅と自治体との関係などが築かれてきました。地方に行ったらほとんどそんなことはありません。民間の住宅も公共の住宅も併せて、基礎自治体がちゃんと住宅政策を視野に入れるべきだという考え方が今後必要です。


住宅政策をめぐる政府の動き


◆住宅業界の動き

 福島市は人口29万人約10万世帯です。一般に世帯数を50(大都会では40)で割ると1年間に建設される住宅の数が出てきます。福島では年間2,500戸の住宅が建てられます。土地の値段は除いて上物が平均2,500万円かかると、625億円が市民の汗水の結果として住宅に投資されます。これは福島市の一般会計よりもちょっと少ないくらいです。実態はどうかというと、住宅メーカーはシェアをどんどん膨らませていますので、地方の住宅投資は中央に持っていかれるのです。
 地域の住宅産業をもっと育成することを考えないと地域経済はイカレてしまう、これは公団の団地でも同じことが言えます。団地の大規模修繕など、地域の建設会社に頼むのと大手建設会社に頼むのとでは、かなりコストが違ったりします。
 地域社会の中で建て替えをやる、地域の建設産業と結びつく、こういうことを考えていくことが、それぞれ合理的な姿になっていくことと大いに考えられる。
 私たちが住まいを豊かにする、地域社会を豊かにするということは、地方自治体をもっと政策能力の高い組織に育てていかなくてはならないということです。みなさんの運動も公団だけではなく地方自治体にも振り向けて、団地を地域社会の中できちんと位置づけていくことが必要だと思います。理論的にはそうですが、住宅政策をめぐる政府の動き、産業界の動きはこれと対比するとかなり厳しいものがあります。

◆市場原理とそのための規制緩和

 政府の社会資本整備審議会住宅宅地分科会のいろんな議論を聞いていると、あるいは以前の住宅宅地審議会の答申等を見たら、ここ数年間は同じことの繰り返し、市場原理、そのための規制緩和、住宅政策はそういう基調のもとにすすめるのだということを繰り返しいっています。小泉内閣のもとでこれにいっそう拍車がかかる。
 もうひとつ小泉内閣ではっきりしたことは、大都市地域へ集中化させるということ。住宅投資を含め社会資本整備を大都市に集中化させる。これが都市再生プロジェクトです。

◆更なる重点化と集中化

 これまで河川や道路、住宅もそうですが国土交通省が握っている公共事業に関係するものは、たいていのものが5カ年計画を作ってきました。河川、道路、ダム、住宅すべて5カ年計画で整備してきました。この計画のあり方をめぐって、政府の中ではたいへんな議論になってしまった。5カ年計画は政府が作るのと同時に47都道府県でもみんなそれぞれ5カ年計画を作ります。 法律の趣旨からいくと47都道府県が先に作ってこれを全部束ねて国土全体の計画にするというのが法律の精神なのですが、現実にはまったく逆で、47都道府県に公共事業をバラまくというような構図になってしまっています。これが批判の対象になり、5カ年計画をやめてしまおうという方針になりました。それが大都市地域への更なる重点化と集中化です。
 それによって47都道府県がそれぞれ等しく河川、道路、ダム、住宅を整備するのではなくて、もっと重要度の高いところを集中的にやりましょう。福島県の国道なんかこれから整備する必要ないとなるわけです。これが「積み上げ型」予算につながる中長期の計画という考え方をやめてしまいましょう。こういう枠組みです。
 「住宅宅地審議会」「道路審議会」「河川審議会」他等を「社会資本整備審議会」へ統合し、「住宅宅地分科会」など、それぞれ従来の審議会はすべて分科会になりました。
 これまでの「道路整備5カ年計画」や「河川整備5カ年計画」などを統合し、社会資本の集中化・重点化を図ろうというもので、成果をわかりやすくしていく仕組みなど計画技術としての進展は見られるが、現在の「都市再生プロジェクト」の展開と照合させていくと、「集中化・重点化」が国土の不均衡発展をさらに拡大する可能性が大きいことなどの問題点を含んでいます。何よりも、これからの動きを的確に捉え、適格に対応できる地方自治体の政策形成能力や、住民等との合意形成能力が改めて問われていくことになるでしょう。

◆ひとり勝ち社会へのシフト

  「ひとり勝ち社会」へのシフト、市場原理、競争原理というのはアメリカが日本に先駆けていました。市場原理を追求した結果アメリカがどうなったかというと、「ひとり勝ち社会」に。これはアメリカの経済学者が生み出したことばですが。競争原理・市場原理を貫いていったら、1%の富める人たちがアメリカの全資産・資本の40%を所有することになった。そして多くの国民が自分の子供たちを、この一部の勝者にさせたいために教育に投資する。その結果どのくらいの人が勝者になったかわかりませんが……。
 福島市で東京の大学・専門学校に出てくる子弟が1万人位います。1年間親御さんの支払っている学費生活費は250万円です。すなわち250億円が黙って東京に流れる。高等教育機関が偏在しているためこういうことが起きるのです。この高等教育機関がそれぞれ全国にあれば250億円はどういうことになるのかと、何度も試算するのですが、なかなかそのようになりません。
 競争原理・市場原理をこれからしばらく日本は追求していきますので、「ひとり勝ち社会」がもっと具体的になってきます。その時に、私たちは勝者になりたいために、私たちはかなり無理をして無駄をして投資をしている。これをアメリカの経済学者は「無駄な投資」とアメリカ社会の中から出た教訓としています。
 これをもっと合理的な姿にできるのではと、経済学者のドラッカーは、利潤追求の社会ではなくて、NPOやわれわれが働くことによって自分の生き甲斐に繋がるような社会・経済活動に繋げていきませんか、資本主義の後はそういう社会になるのでは、ということを言っています。
 今、日本がめざしている競争・市場原理を小泉内閣はもっとも中核に据えているわけですが、これからの社会を想像した時にそれなりの軌道修正を迫っていく必要があるのではと思います。

◆国際社会、グローバルスタンダードへの配慮

 グローバルスタンダードとは日本だけで通用していた商品等の規格を、世界に通用する規格にしましょうということです。80年代の後半に東南アジアで経済危機があった時に、世界銀行やIMFが何をしたかというと国内的な規格は全部取り払いなさいと、世界的なグローバルスタンダードで規制を取り払ったら、世界の市場・資本が来てその国の経済状況を救うことができる。これを交換条件にしてIFMや世界銀行が融資をしたのです。それが今の日本の姿と重なっていると考えていただきたい。日本をグローバルスタンダードにするためにどうなっているかというと、アメリカ資本、アメリカ経済界がもっと進出しやすい環境をつくる。それに中国の資本が世界に、日本にたくさん進出してきました。したがって国内の経済状況はどうあるべきかということを考える時に、実はアメリカ流のグローバルスタンダードを押しつけられていると考えます。
 日本の農作物の自給率は30%、それなのに日本はWTOで市場化をもっと進めるべきだと言われ、ジュネーブで苦境に立たされています。こんなに自給率を下げさせられても、モノが言えない不思議な国です。こんなことからも日本の国のあり方を考えることが重要だと思います。
 これに対してヨーロッパではアメリカ型のグローバルスタンダードによって物事を考える、都市のあり方を考えるのは難しいということをEU各国とも考えています。グローバリゼーションが進むかもしれないがフランス、ドイツ、イギリスはそれぞれの国のコミュニティや地域社会のあり方を追求しようとして、これが国策になっています。
 イギリスでは地域社会を再生するための政策を集中的に展開しています。日本で地域社会再生なんて話は聞いたことがありません。こいうことをグローバリゼーションの波の中に任せておけない、ということが今の日本でも徐々にはっきりしてきました。そういう中で財界が住宅基本法、住宅まちづくり基本法を提言しています。

◆「住宅基本法」、「住宅・街づくり 基本法」の提言

 日本経団連による「住宅基本法」「住宅・まちづくり基本法」の提起は、たいへん興味深いものがあります。これまで日経連は住宅政策の提言をしたことがありますが、経団連は住宅は市場に任せればいい、政府の政策としてやる必要があるのかというのが基本的なスタンスでしたので、経団連が住宅政策を提言するということは、ほとんどありませんでした。
 ところが平成15年になって政府の住宅政策に注文をつけて来たのです。なぜこの期に及んで経団連が住宅政策に口を出してきたのか、ここが重要です。
 それは住宅産業からのプレッシャー、要求があったということです。それは全国5千万戸の住宅のうち2,500万戸は市場として展開できる、それを市場として手がけるには何が必要か、その時に考えたのは住宅の性能をキチッと実現できる業者と、そうでない業者を振り分けましょうということです。
 住宅性能の保証できる業者にこの2,500万戸の住宅を任せて、耐震性能など水準の高い住宅を造りましょう。そのため住宅産業界は必死になって住宅性能制度を充実させてきます。実はこれをねらっているのです。これが住宅産業界からのプレッシャーです。
 もうひとつ経団連独自の位置づけがあります。これまで技術立国として頑張ってきたけれど、世界の経済活動の中で日本は今沈み込んでいる。これを経済界は認めざるを得ません。これから日本が世界とともに頑張っていくために何をしたらよいか。
 日本はこれまでこれというブランドがなかった。日本というのはどういう国なのかということを世界にアピールするモノがなかった。とくに居住の問題、住まいの問題についてはOECDという世界機関からウサギ小屋という指摘を受けてきました。
 政府や経済界の人は外国へいって企業と渡り合ったりします。みなさんも行かれて経験があるかと思いますが、向こうへ行くと友人になった人が必ず家に迎えてくれてパーティーをしてくれます。パーティーができるような家に住んでいるのです。日本では経済界の人たちでも外国人が来るとホテル等でパーティーをする。家に呼びにくいということもあったりします。
 毎年、「世界の最貧国」といわれるベトナムのハノイへ行って、ハノイ国家大学の友人のところへ毎回招かれますが、パーティーができるんですね。びっくりするほど大きな部屋なのですが、住宅が密集しており隣との距離はいくらもありません。極端にいうと隣の壁が自分の家の壁に繋がっている、という逞しさもあります。
 居住環境からいうと日本と同じかな、それ以上に厳しいかなというところもあります。戸建て住宅を何軒か調べたことがありますが、判で押したように天井の高さが3.4mありました。公団住宅は2.4mくらいですかね。3.4mこれはフランスの植民地時代の文化だと思いますが、それにしても住宅の水準が高い。このことを経団連の人たちは雑談で話してました。それを世界に並行してやっていくには、私たち国民の生活レベルをもう少し見直おさなくてはいけないということです。
 住宅基本法を提言しているのですが、私の見方を三つまとめました。
@ 政府の市場主義政策への市場側からの対応を示したものであると同時に、政府に対する業界の要求提示。
A 住宅の商品化の一層の追求と、「品確法(住宅品質確保促進法)」など性能評価基準による住宅市場における勝ち組と負け組の選別。
B グローバル化への対応。 
 そこで私たちは政府や財界のこのような「住宅基本法」や、「住宅・まちづくり基本法」等と違った法律を提起していかなくてはならない。私たちはあえて名前を変えて「住居法」と考えています。

◆住居法の枠組み――地域居住政策

 真っ先に触れないといけないのは「居住権」という概念を確立することです。日本ではまだ確立していません。「居住権」、われわれの一部あるいは弁護士、日弁連などでは使われていますが、政府はこのことばを使おうともしません。少しずつ交渉では話題にはなってきていますが、東京都の住宅基本条例に「居住権」ということばが出たり引っ込んだりしたことはあるのですが……。居住権をきちっと確立することです。
 私の考え方は三つあります。それは最低居住水準を保障すること、居住存続を保障すること、居住差別を禁止すること、こういう中身にして居住権をきちんと確立することが必要です。それはまず公共による住宅保障をすること。そして「サスティナブル・コミュニティ」。これは、地域社会をきちんと守ること、環境にやさしいもふくめ、将来に次の世代に引き渡せる地域社会のことです。
 それからやはり住宅政策のなかで市民が参加をしていく、その中で合意形成していく、こういう場面をきちんと住宅政策の中につくること。これは地方自治体のほうがつくりやすいと思います。これも視野に入れておいていただきたい。
 したがって、私は最後に政府に対する要求をもっと図太くするためには、地方自治体と渡り合っていくことを提起したいと思います。実際の場面で地域社会、地域に住宅をどういうふうに位置づけるか、政策展開をより以上、公団の方々にもしていただきたい。
 私も「日本住宅会議」の代表のひとりです。これまで日本住宅会議は政府に対する要求課題でやってきましたが、もう一つは基礎自治体、地域の私たちの住んでいる身近な政策機関を育てていく、こういうことも運動のひとつにしていくことが大切です。
 最後に、こんなわけで時代が大きく変わっていく、しかも経済界の総本部が住宅政策に切り込んできた。経団連のこういう動きは非常に重要です。先ほどの住宅基本法等も政府の住宅政策よりも読み応えがあります。中身は問題がたくさんありますが、政府の住宅政策よりもこちらのほうが動いてしまうかもしれない感じすらします。
 したがって、みなさん政府の建議書を学習されるのと同時に、この経団連の中身を「要注意」として読むことをおすすめします。私の話は終わりにします。
                         
           ――― 文責:編集部 ―――

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